平成28年度 管区布教講習会 併催 教化センター布教協議会(報告) 

開催日:平成28年 5月30日(月)~31日(火)

坂川資樹老師(特派布教師・北海道晃徳寺住職)
坂川資樹老師(特派布教師・北海道晃徳寺住職)
永井政之先生 (駒澤大学名誉教授)
永井政之先生 (駒澤大学名誉教授)
センター布教協議会<br />テーマ「人々と共に歩む僧侶とは」<br />8グループに分かれてディスカッション
センター布教協議会
テーマ「人々と共に歩む僧侶とは」
8グループに分かれてディスカッション

会場:新潟県南蒲原郡田上町「東龍寺」  
   新潟県第4宗務所 第3教区 24番

坂川資樹老師(特派布教師・北海道晃徳寺住職)
2講座
「法(話)とは、人なりⅠ ~平成28年度告諭・布教教化方針を中心として」
「法(話)とは、人なりⅡ ~衆生を利益すというは・・・」の演題にてご講義を頂きました。
以下が講義の流れです。

1.現代人の苦悩、社会の混迷
  ↓
「これからのお坊さんはどういう人であってほしいですか?」(アンケート)
① 頭を剃り、衣を身に着けた人・・・・・49.5%
② 普通の人と同じ姿で布教に励む人・・・39.2%
③ 妻子を持たず修行に励む人・・・・2.1%
④ その他・・・6.4%
⑤ 無回答・・・2.9%
(曹洞宗宗務庁刊『宗教集団の明日への課題』)より

① と②を合わせると、88.7% (約9割)の方が、<頭を剃り、衣を身に着けて、しかも布教に励む人>
最も苦悩し、最もつらい立場の人に説法せず、幸せな立場の人々に向かってのみ、説法する教化活動などあるはずがない。

2.これからの法話は・・・
① いますぐ
② これからの法話は・・・
③ 手間をかけずに
   短い時間で、わかりやすく情報を提供する
   「長い話」は、歓迎されないが、一番嫌われるのは「長い時間の話」よりも「長たらしい話」
   「長たらしい」話」とは、内容が希薄、話術も稚拙 →「ああ、長いなあ」
   話の要点をクリアにするには・・・「5W1H」
   ・だれが  ・いつ  ・どこで  ・なぜ  ・どんなふうに
   よい話は、よい文章と兄弟である

3.まちへとびだせ
   法事、お通夜、その他あらゆる仏事供養の機会を生かす
   ↓
   短い法話でOK  習慣を形づくる
   布教伝道は、自分自身の修行

4.布教、教化とは
   布教・・・教えを布く
   教化・・・衆生を仏道へと教え導くこと。(広辞苑)
 ※なぜ、仏道へと、教え導くことが必要なのか?
  お釈迦さまに代わって法を伝える
  ~自今已後、我が諸の弟子、展開して之を行ぜは、即ち是れ如来の法身常に在して而も滅せざるなり。『遺教経』

5.説法に躊躇することなかれ
 ①「自分はまだ若い。人生の先輩である檀信徒にお話などできない。」
 自分の考えをとくことではない。 法を説くことが目的
   ↓
 お取り次ぎ
 東辺にして、一句をききて、西辺に来たりて一人のために説くべし。
 法話の勉強は、先ず第一に仏法の真髄を学ぶことから出発します。

6.法話とは仏法のお話
 法に一貫する・・・信心の有無
  法話は法の串で一貫せよ
  問題提起だけでおわらせない(必ず法の受け皿を)
  観念的な話に終わらせない
  感想文のような話し方は禁物

7.法話の極意
 持ち味を生かす → その人にしかない持ち味
 旬の材料を使う
 後味のよい料理を

8.心構え
 比丘達よ、汝らが集まっている時には、ただ二つになすべきことがある。
 一つには法について真剣に語り合うことであり、もう一つは聖なる沈黙をまもることである、と。(小部教典『自説教』)

9.学習と基礎づくり
 教科書の魅力 「仏教概論」など
 仏典祖録の精読を
 辞書をいつも手元に
 新聞をよく読もう

10.話材・教材の集め方
 忘却の流れに杭を打つ → メモをよく取る
 アンテナを張り巡らす
 法話は作り出すものではなく、生み出すもの → 熟成が必要

                                            以上

永井政之先生 (駒澤大学名誉教授)

 「禅僧の教化 -時代を超えて何をといたらいいのか」の演題にて2講座の講義を頂きました。
 内容の要点は、以下の通りであります。

「教化」とは本来性(出世間・聖)と現実性(世間・俗)とを結ぶこと。
  結ぶのは出家(世間と価値観を異にする者)である「僧侶」。
  「梵天勧請」の意味するもの
   和光同塵  入鄽垂手(十牛図)  異類中行・曹山三種異類
      結ぶことは常に意識されてきた → 世間をどう評価するか
        「治生産業固より布施に非ざることなし」
 宋代になって中国の仏教は「中国化」「民衆化」する
 三教の一致 禅浄の一致

北宋 長蘆宗賾の場合
 雲門--香林--智門--雪竇--天衣--長蘆応夫--宗賾   椎名説 一〇四〇〜一一〇九。
                                  林徳立 一〇五六〜?
 禅浄一致の人と知られる。一一〇三年『禅苑清規』(鏡島等の訳註あり)を編纂
       椎名宏雄紹介 一一〇四年『慈覚大師勧化集』(黒水城・カラホト文献として新出)
       椎名宏雄紹介 一一〇九年『慈覚賾和尚語録』(駒図江田文庫)

北宋という時代
 中央集権 皇帝を補佐する士大夫が実権を握り、出家である僧侶も寺院もその監督下に入る
        国家安寧のための祈祷等
  在家信者の葬送の際の法語(下火や掩土など)が語録に出るのもこの時代
   出家者のための儀礼は『禅苑清規』亡僧、尊宿葬法→現代曹洞宗の儀礼

南宋 如如居士顔丙の場合
【その伝記】
  福建省順昌の人。周礼を学んで郷試を受けたが、感ずるところがあり、のち仏教を志す。大慧(一〇八九〜一一六三)の弟子の可庵慧然について得法する。数十年隠棲し、のち建寧府や福州、邵武県などで遊歴。子供があり、居士でありながら時には請われて上堂し、葬送も司る。嘉定五年(一二一二)六月一五日示寂。
    朱子 → 一一三〇〜一二〇〇 福建省出身 建州で解試に合格

【顔丙の禅のもう一つの特徴】
大全語録 誥牒門 「生七誥」 生七のおしえ
「生七牒」
念ずるに某、生れて聖世に居し、忝なくも人倫に処す。乾坤を荷なう覆載の恩もて、賢聖扶持の力を謝し、、身は是れ幻なることを知りて、世は堅きに匪ざることを覚る。此の時、予め修持せざれば、異日、何を将て憑拠とせんや。幸に我が仏、三乗方便の門を開き、宜しく善人の与に、十殿に預修の果を結ばしむるに逢う。特に生前の福寿を長ぜしむるのみならず、又た将て身後の津梁と為るべし。慧僧、最上乗の経を課誦し、是夜に無遮の法会を修設せよ、預め某年某月に於いて、謹しみて捨金し某院に谷入し、云云。

宗門の教化は「宗旨=坐禅」を説きつつ、もっと「戒=倫理」を説いていいのではないか。
         戒=倫理の強調がそもそもの布教の根本であろう →修証義の立場=禅戒一如
    三学 →戒・定・慧
    ブッダの時代以来、「教えを信じる」とは日常生活に「戒」を持ち込むことであった。
        『遺教経』の「波羅提木叉」の尊重珍敬
          「当に知るべし、此は則ち是れ汝等が大師なり。若し我、世に住するとも此に異なることなけん」

曹洞宗の場合
   瑩山禅師→「三木一草事」
    菩薩戒相伝の事は宗家の一大事因縁なり、故に少林は僅かに六人なり。南岳は其の一人なり。或は伝えて云く、三聚戒なり。又た俗なる一人と皮肉骨髄の四門人なりと。薬山は十八人、洞山は二十人なり。開山永平和尚に別願授戒有り、殆ど将に千人に及ぶ。然り而して正伝の戒法は纔かに五人なり。奘和尚の授戒は六百余人、伝戒は纔かに五人なり。介和尚は授戒三百余人、伝戒纔かに四人なり。紹瑾の授戒は已に七百余、正応より元亨に及ぶ。残年幾年、人数幾ばくかを知らず。伝戒又た十余輩、現在するは七人なり。
    介公云く、唐土の在家の男女に受戒の事あり、此れ三聚戒を授く、我が朝の結縁灌頂の如し。
  →中世における「授戒会」の盛行と「葬送儀礼」への傾斜は通底する
  →総受戒運動  家庭清規
          ちなみに「宗勢総合調査」報告からすれば、明治以来の「肉食妻帯」問題は、檀信徒からは当然視されていると見てよい

曹洞宗宗憲
 第三条 本宗は、仏祖単伝の正法に遵い、只管打坐、即心是仏を承当することを宗旨とする。
 第五条 本宗は、修証義の四大綱領に則り、禅戒一如、修証不二の妙諦を実践することを教義の大綱とする。
 「宗教」の二文字を分析して「宗」は原理原則、「教」は現場に即応した教義とする考え方がある。これによれば三条は「宗」、五条は「教」ということになろうか。
 両者が密接不離のものとして存在することで、はじめて「宗教」となる。

★『菩提薩埵四摂法』
 中村元『仏教語大辞典』 「四摂事」の項
 「人びとを救うために、人びとをおさめて守る四つのしかた。人をひきつける四つの手段。他人を仏道にひき入れる四つの方法。仏教を実践する人が、人びとを誘いつけるために具えるべき四種の美点、云々」
    →『眼蔵、菩提薩埵四摂法』と『修証義・発願利生』の関係をどうみるか
 菩薩が人々を仏道に誘引するための四つの柱、あくまでも自己の生き方に関わるものということになるが(『眼蔵』)、平易に説こうとすると単に人間関係をうまくするとか、あるいは社会活動ためとかの部分で留まってしまいかねない。
 玉城康四郎氏云「出家を強調する道元禅師の著作としては異色の存在=社会との関わり」
  仁治癸卯端午日入宋伝法沙門道元記  仁治四年(一二四三)五月五日
      七月には越前に下向するから、京都での総括と言ってもよいかもしれない
さらに「菩提薩埵四摂法」の教えは、社会的機能を果たしうると言ってよいが、ただしどう宗旨を踏まえて、たとえば「告諭」を説くかという点で注意を要するであろう。

 以上のご講義を頂くと共に、僧侶としての心構えもお話頂きました。

センター布教協議会

 テーマ「人々と共に歩む僧侶とは」
8グループに分かれてディスカッション。その後、書記を務めて頂いた教化センター布教師老師に発表をして頂きました。
ディスカッションの内容は、下記の通りです。
  1. 人々に、そのような働きかけをしていますか。
  2.活動をすすめてきての、ご自分の思いを語って下さい。

班ごとに各項を発表、その後、坂川資樹老師にご講評を頂き、増田友厚統監がまとめにの話を致しました。

主な発表内容は下記の通りです。
 1.・老人施設訪問
   ・SNS、お寺新聞
   ・月例子ども坐禅会、学習会、生涯学習坐禅会、梅花講、コンサート
   ・青年会などでボランティアを通して現場で人々とのつながりをむすんでいる。
   ・通夜、師匠より「お話を必ずしなさい」と言われ、法話をしている。
   ・お寺の境内にて、夏休みラジオ体操をさせて頂いた所、ニーズがあり、坐禅、朝課を引き続きさせて頂いている。
   ・30代僧侶多く、若い世代に親しんでもらうためにも子ども向けの坐禅会、寺族、親も含めて交流会。
    肩肘張らず親しまれる。
   ・托鉢

 2.・外に向けての発信。継続が大事。楽しく活動をすすめている向きが多い。苦しいと続かない。
   ・檀家さん以外への働きかけに好い反応があって、自信がついた。
   ・呼ぶ人の少人数化。親戚の名前が分からない。社会の関係性の希薄化。
   ・僧侶は今までは一歩上にいるように見られたが、現状では檀信徒と同じ目線になっていっしょう寄り添う。
    支えあうことが共に歩むことになるのではないか。
   ・子どもさんの時からお寺を好きになって頂けるように、子どもさんとのご縁づくりを大事にしていきたい。
    そこから、ご両親、ご家族とのご縁が広がっていくことを願っている。
   ・檀家さんとの距離感が難しい。

以上